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 仙台 渡邊秀樹

 仙台住 渡邊秀樹ブログ

成仏 出逢い  会津 中屋伝左衛門










庭の 黒松





必要に迫られての事とはいえ


殺生は 厳しい







連日 秋晴れが続いた 11月


青空に向かい 力強く伸びる枝


地中へ潜る 幹の広がりを 看ていると




躊躇し、

見送る事 数日






木は 何も言わぬ故


なおさら 気圧され、なかなか伐れないものでありました






鍛冶屋手打ちの のこぎりを新調し


大安の日を待ち 御神酒を捧ぐも





「 ナニヲ ジタバタ シテイルノデス 」


と、

無言のうちに いわれている様な気がしてくる






残す方向も ずいぶん思案し、


チェーンソーで手伝ってくれるという

友人、知人の 有り難い申し出は 幾つも頂きましたが



せめて 少しでも苦労をし、汗を流して、成仏していただかないと

私の中で 折り合いが つかなかった ということでしょうか




また、

成仏後の木々も 有意義に生かすべく アドバイスを頂きにうかがった

「 七ヶ宿の白炭 」 炭焼きの 佐藤さん方では


白炭づくり、

山での伐採、薪割り等を 見学、体験と

思いもよらぬ 勉強をさせて頂き





” 会津 最後の 鋸(のこぎり)鍛冶 ”

中屋伝左衛門 征一 さんとの御縁






黒松殿、命奪ワレテナヲ 愚生ニ与エ育ル の感慨ヒシヒシであります












会津 ”最後の鋸鍛冶” 中屋伝左衛門








機ガ熟スヲ待ツ










2014年 秋

近所の 地元同級生宅へ 遊びに行くと


実家の母屋を解体する という事で



「使える物あったら 持って行っていいよ」 と言いながら

母屋の中を 案内してくれ


お茶箱、熊の木彫り、サンゴの置物等々、懐かしい昭和のモノがたくさんありました






「木工の道具なんかは もう残ってないの?」 と 尋ねてみると


工具類は コウバを閉める時 お父さまが職人さん達に分配したとのこと




彼の実家は もと建具屋さんで

私が子供の頃は、この敷地内に大きな工場が在ったのでした





それでも彼は

「 これだけかな 」 と言って


鉋(かんな)数台と、錆びた鋸(のこぎり)が1枚入った 小さなダンボールを1つ

家の奥から 持って来てくれました



比較的新し目だった ” 作里鉋(さくりかんな) ” と呼ばれる それらの特殊な鉋は

私の手に負える物ではないのですが



全体に 赤いサビを まといながらも

いわゆる ” ブッキリ ガガリ ” と呼ばれる


その のこぎりの雰囲気には 魅力を感じました





参考写真




大工道具に関しては、数年前、

三軒茶屋 土田刃物店 土田昇さんの 千代鶴本と写真集を手に入れてから

ほんのりと 興味は抱きつつも


鋸の 縦挽き、横挽きの種別すら知らなかった 畑違いのモノであります




私の 大工道具鍛冶仕事に対する興味は

禅僧や武道家とも重なる


向上の

道をゆく


最上を追求する 大工鍛冶職人さん達の 姿勢への共鳴

逸話や、言動への敬慕が 第一義的でしたから




もちろん、非常に魅力的ではありますが、鉄味、

機能・造形美、

使用用途・技術等の知識は 二義的魅力でしたので


よいものを 数多く観る、という様な場数を踏んでおらず


いざ、古びた鋸を手にしてみても

量産品なのか、優良素材の手造り品なのか、


時間と 多少のお金をかけても 手入れをして

所有するに足るべく物なのか 判断のし様がありませんでした



本職の建具屋さんが使っていた物なので 良い物であろう、


いや、職人さん達が 誰も引き取らなかったという事は、、


頂いたとしても、今のところ私は 鋸を使う予定も無いし、と


ほんの数秒 頭をグルグルと巡らせてから

文明の利器、iphoneを取り出し


写真のみの判断でも お仕事に使えそうであれば

木彫家の知人に お送りし、有効に使って頂こうと

その場で 写真を添付したメールを送信


とりあえず 鋸を含め 諸々お土産を頂いて 友人宅をあとにしました





数刻後、木彫家の知人から返信があり


形状から 会津の鋸であろう事、

錆を落とし 使えるであろうとの事




私は その大変に面倒な過程も深く考えず、

” レストアの過程を見てみたい ” というワガママを添えて

お送りしたのでした





早速、

作業をしながらの写真撮影と 非常に御手間をお掛けして 恐縮しつつも

丁寧な説明と お写真で、レストア過程を見せて頂き

大変ありがたい事でありました




錆の下から 中や 云々と 銘が出てきた事

玉鋼の等級と思われる「千」の刻印があり、素材は 玉鋼であろう事



錆を落とし、刃先をならし ヤスリ掛け、


板の歪みと、アサリの確認は、土田刃物店 昇さんの手に掛けて頂き


最後に、新たな橦木柄(しゅもくえ)を ケヤキの契を入れ 丁寧に手作り下さり



天晴れ めでたし


鋸も再び 知識経験豊富な 超絶技巧木彫家の元で

有意義に活躍出来る事に 成ったのでした







そしてこの時、

” 会津の鋸 ” に、 強く 引っ掛かりまして

色々と見聞きしたところ


実に、 「 会津は、日本を代表する 鋸の一大産地であった 」

という事を 今さらながら 知り得




みちのく、

東北六県全てを 私の故郷と愛着を持っている小生としては

遅ればせながら いま少し深く

会津の鋸について 勉強せねばと



そして、結果、

この事を少しでも多くの、せめて私の身近な方々にだけでも

知って頂きたいなぁと 思ったのであります

























 

 




 




ここで、本来の私であれば

” まず仙台の ” と 成るところなのですが



仙台は仙台で、明治から昭和初期にかけ

多くのお弟子さんを育てた 大久保権平という 名人と呼ばれた鋸鍛冶が いらっしゃり


元日本金属学会・金属博物館の 野崎準 という方の「仙台の鋸鍛冶」等 いくつかの論文を

「東北学院大 東北文化研究所紀要」 の中に見出せ

市や、学院大の図書館等で閲覧する事が出来るのですが

あまり身近では無い感じですし



上記 昨年秋の出来事以降、

東照宮の骨董市でも 積極的に大工道具を 物色したものですが

どうも ご縁が つながらない




私の祖父は 戦後満州から引き揚げ後、

若林区の材木屋・製材所で 定年まで数十年勤めてたので


実家の納屋には、鉋や鋸、良材等も沢山有ったのを 記憶しているのですが

実家は ほんの数年前に 解体されてしまっているので

惜しいかな 今は何も無く

私の手元には何故か、製材所の 家紋入り藍染作業半纏が あるばかり



つまり 仙台ノコは、

待てと


いう事なのだと







そこで この同級生から頂いた 鋸をきっかけに

少々カジッた 会津鋸鍛冶について 大まかに羅列しますと




1592年 蒲生氏郷氏の移封から

築城、城下町作りのため、京都伏見の 優れた鋸鍛冶技術伝播が始まり


約70年後の 1666年には

鋸鍛冶その数 少なく見積もっても20軒以上と伝わる隆盛が

江戸時代を通して 衰える事なく続き


その 向上した製造技術は、越後や江戸の鋸鍛冶へも 伝えられ



明治時代の 北海道開拓期、

太平洋戦争終戦後の 戦災復興期は、

山林の伐採、家屋再建と 鋸鍛冶の最隆盛期で




会津若松市 旧博労町だけで 35軒もの 鋸鍛冶が存在し、


伝左衛門工房では 弟子を含め10人以上が 朝早くから鋸造りに精を出していた、とあるので


中六日町、滝沢町、それ以外の町も加えると 数百人規模の 鋸製造に携わる職人


付随する、材料や燃料、印刷、配送等々、鋸に関わるわる人口を考えれば


会津若松 まさに鋸の町 といったところでしょうか




しかし、昭和30年頃に、チェーンソー、電動丸ノコの登場

加えて 建築工法の変化等によって


手挽きの鋸は 次第に使われなくなり、多くの鋸鍛冶が廃業



近年においては ” 使い捨て替え刃ノコ ” の出現も強烈な追い討ちをかけ


2005年 三代目 中屋市右衛門氏が 鍛冶場の火を消すと




現在、会津の鋸鍛冶は


三代目 中屋伝左衛門 = 五十嵐征一さん 御一人と成ってしまったのであります





昭和19年生まれの 三代目 中屋伝左衛門さんは

ホームページも作り


鋸の構造から 種類や、使用用途の説明、歴史

鋸鍛冶仕事内容の紹介、林業についてなども コツコツと写真付きで紹介なさっており


初心者の私には とても勉強に成りましたし



「 私を友人・知人と捉えて 利用して下さい。50年以上の経験が、お役に立てば幸いです」



良寛和尚の

「 ”今あたたまれるだけの 落ち葉があれば いいんだよ”、  好きです。」 等の言葉から



氏の 謙虚で、愛情深い人柄が偲ばれ




また、

深く明るい光沢を放つ 大ぶりのガガリ、独特の ” マドノコ ” は 魅力的で



このホームページを知った 昨年の秋


会津最後の鋸、

使わずとも 所有しておきたい


という気持も 湧いたりしたのですが

























HP開設以降は、全国からの御注文、お問い合わせが有る様で



残された わずかな鋼材が 無くなるまでの製作


「 手持ちの鋼が なくなって、鋸鍛冶屋人生を終えたとしても

   目立て屋としては長く続けられる事で納得している 」と 述べられており




残り少ない鋼材、

使われ 喜ばれてこその 鍛冶屋冥利




使う予定の無い私が 買う必要は無く 失礼な事と

時々、ホームページをのぞき

新しく仕上がった鋸の写真、新たな解説等、新設ページ等を見ては



私の母親と 同じ御歳にもかかわらず

ホームページの更新、メールの対応、鋸の製造、目立てと フル活動


頑張っていらっしゃる、頑張っていらっしゃると、ほくそ笑んでおりましたところ





その、ちょうど1年後


はからずも、ご近所の長老、不動産のすすめで

庭木を一掃伐採する事に成り


手元には 鉄クズ=スクラップを 売却した代金が入ったばかり



使う為に買う





「 枝を払いながら登り、上から寸詰めに敷地内に伐り落とし 云々 」 と、

お問い合わせ させて頂いたところ



「 太いものは径30cmの1本のみ、輪切りと枝払い、その他の条件、

   経済性も考慮しますと、”差し切り型改良マド鋸尺3寸” が宜しいかと 云々、、 」



生木伐り初心者の私に、親切、丁寧、考慮、御説明頂き


また、度々の質問や、使用後のケア等にも

温かく親切な 御助言を下さり



思い切って メールでお問い合わせをしてみてよかったと



鋸はもちろん、素晴らしい働き、切れ味で


もう ホームセンターへは行けません










安来鋼 黄紙



















安来鋼黄紙
「 差し切り型 改良マド鋸 尺3寸 」 刃の部分が1尺3寸(約39cm)全長67cm
















差し切り型は、

腰に差して木に登りながら

幅が狭く造られた 刃の細かい鋸の先端部を 込み入った枝の間に差し入れ 伐る事が出でき、


さらに、おが屑をためて掻き出す「マド」が 太い幹の輪切りも 効率良く容易にする


まさに 私の我儘な作業希望を 1本でまかなってくれた逸品





近年、

薪ストーブ等の 需要増加にともない

チェーンソーの音が気になる 住宅地での薪づくり等にも 鋸が見直され

手造りの道具、木との対話

ちょっとした運動としても 楽しまれる方が 増えていると聞きます





こちら 「 中屋伝左衛門鋸こうば 」 の ホームページから

http://www43.tok2.com/home/metateya/nakaya.htm





みちのく 東北

日本を代表する のこぎりの産地 会津の認知と、歴史、鍛冶仕事の知識吸収


” 会津最後の鋸鍛冶 ” 中屋伝左衛門さんとの

御縁が生まれれば 嬉しいですし



同時に、のこぎりから 少し目線を上にあげ


山、森林、樹木、川、


酸素、水、動植物、景色、

私たちが あらゆる恩恵を受けている 環境などにも目を向け


日本の山、日本の林業、丁寧な手仕事等について

お子さんや家族との 会話の種にして頂く きっかけになれば 幸いです









 










” 会津最後の鋸鍛冶 ” 中屋伝左衛門さん ホームページ

「 中屋伝左衛門鋸こうば 」

http://www43.tok2.com/home/metateya/nakaya.htm



















御存知、ロバートジョンソン君 生みの親

岩野亮介さんの 工房報告から


岩野亮介 工房報告 2011年 1月21日 「製材・ガガリの効用」
http://iwanoryoskewerkstattbericht.blogspot.jp/2011/01/rw.html



岩野亮介 工房報告 2014年 12月8日 「ががりレストア」
http://iwanoryoskewerkstattbericht.blogspot.jp/2014/12/blog-post_8.html















































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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「勇猛精進」
三船十段 書

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