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 仙台 渡邊秀樹

 仙台住 渡邊秀樹ブログ

林子平祭



仙台市青葉区子平町 龍雲院


ここ子平町は、

昭和42年の住居表示変更で、龍雲院に墓のある 林子平にちなんでつけられた町名であります



当初 「林子平祭」は、命日の6月21日に実施されてきましたが、

海防の必要性を唱えたことなどから「海の記念日」や「海の日」の7月20日に開催

海の日が7月の第3月曜日に変わっても20日で通し、

海上戦死・病没・遭難者らの供養と共に

六角堂内 子平の木像を開帳しております










「江戸の日本橋より唐(から)、阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路なり-」



江戸時代後期、

林子平(はやし・しへい)(1738~93年)が著した「海国兵談」の一節



我が国を「海洋国家」と規定した最初の人物で、

子平が自費出版した『三国通覧図説』『海国兵談』が、

いまもなお我が国の広大な「排他的経済水域」(世界第6位)を

保障する根拠となっているようです








お墓の横には、伊藤博文が建立した石碑があり、

墓は昭和17年 国の史跡に指定されています


長崎に3度赴き、

ロシアの南下を警戒し 蝦夷地の確保を説いた

「三国通覧図説」を天明6(1786)年、

「海国兵談」を寛政3(1791)年に刊行しましたが、

翌年、幕府は人心を惑わすものとして、

子平に仙台藩での蟄居(ちっきょ)を命じ、版木没収、発禁の処分を受けましたが


その後、異国船が相次いで渡来し、子平の訴えが現実のものとなります






先見の妙、行動力

幾人かの理解者が居られましたが


無念


「親もなし、妻なし、子なし、はん(版)木なし、かねもなければ、死にたくもなし」と、

自らを 「六無斎(ろくむさい)」を名乗り、

翌年の寛政5(1793)年、56歳で亡くなられました



罪人として亡くなられたため 墓を建てることを許されず

死後48年たった 天保12(1841)年に ようやく幕府から赦免され、

翌年、甥の林珍平が 墓を建立



私は帰国後すぐに訪れた 龍雲院

宮城、仙台ゆかりの偉人として 全国に名を知られる 数少ない先達でありますが

「林子平祭」 は、年々 寂しさを増しております




「 あれは 町内のカラオケ大会だから! 」 と、

皮肉と寂寥を込めた 地元の方の冗談に 私は返す言葉も無し
 


子平の事績に触れ、自ずと脚を運ばれる方が増えますよう


いつの日か




















































六角堂




































「 子平堂 」の出店


昭和12年の創業で、町名が子平町に変更される30年前から「子平」の名を冠しています

子平堂店内には、寛政の三奇人の一人、高山彦九郎御令孫?の書も














































私は未だ 林子平の書とは 御縁を頂いておりません


三国通覧図説の古地図などと供に 時々見かけますが

私の 身分相応な価格でのめぐり逢いは 未だであります



現在 机の前に掛けてある刷り物が 私には丁度よい物

明治26年 梅関筆 刷り物

額付きで 1500円という 御縁でした、ほぼ額代ですね

ガラスに触れたままですので、マットの様なもので浮かせたいところです近々































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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「勇猛精進」
三船十段 書

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