先月のある骨董市、
興味の有るものが何も出なかったので 会場である寺の中庭をプラプラしておりましたところ
どうもその日は いつも以上に草木に眼がゆくのでした
「みて、みて、観察して!」と 草木に言われてるような感覚でありました
色鮮やかな お花も素敵ですが、
私はこんな感じの同じパターンがミチッとなっているモノに魅かれたりもしまして
また、毎月来ているお寺でありながら今まで気付かなかった個性的な実?の様なものが
この日は目に入ったり 面白い朝でした
この「実」のような方、魚鱗の様な線が見えるので花弁となり花開くものか、
または 熟れたら落ちるものなのだろうと思いつつ観察しながら写真を撮っていると、
このままのカタチで枯れ萎んでいる姿を発見しまして
その様は、銀さん・鈴木厚氏の描く枯れたヒマワリの絵を連想させたり
なんともいえない生命への感動が 心地よかったのであります
それから部屋に戻り、昨年来 気になっていたものをグーグルで検索してみました
” パイナップルに似た植物 ” と
それは、こんな感じの背の高い鉢植え(拝借画像)
2年ほど前から、
ある配達先の玄関前に ポツンと1つだけ置かれている鉢植えが気になっておりました
私には魅力的な造形、たたずまいだったので、ある日その配達先の家主に
「この植物は、なんという植物なのでしょう?」 と、尋ねましたところ、
いただきものなのでわからないのです、とのこと
そのお宅に配達があるのは 2-3ケ月に一度有るか無いかくらいのものなのですが
行くたびチョットした楽しみでして、丸く小さい子株?が横から飛び出ていた時もありました
この日は、 ”気になって、拝見するのを楽しみにしていた” 状態から、
”知りたい、調べてみよう” へと何故か一步進みまして
” パイナップルに似た植物 ” と 画像検索してみると
いとも簡単に「パイナップルコーン」というものが出てきまして、「ソテツキリン」と判明
実物を鑑賞しに 愛子の園芸屋さんへ息抜きがてら出かけたところ
この「ソテツキリン」はございませんが、こちらが1鉢御座いますとお出ましになったのが
「怪魔玉=カイマギョク」さん でありました
名前に惚れました
「蘇鉄麒麟」=ソテツキリンも 漢字にしますと私好みであります
生き物は飼わないとなってから、この度は引っ掛かり無く自然に購入する気に成りましたので
喜ばしく進んだ様でありまして、それも目出度く嬉しかったものです
さて愛子の「怪魔玉」さんは、12~13cm程の高さで 780円
姿も悪くはなかったのですが、直感的にビビッと来なかったので
もう一軒、中山方面の園芸屋さんへ足を延ばしてみまして、
すると 小さい怪魔さん麒麟さんが 数種づついらっしゃいまして、1鉢380円でありました
聞くと 飼育は初心者でも可能で 複雑ではないとのことでしたので
目に留まった380円の小さい方々6名様を お迎えすることと成りました
怪魔玉、蘇鉄麒麟、瑠璃晃、姫麒麟の方々
テーブルの上で 私を笑顔にしてくれるお友達であります
長時間の鑑賞に堪えうる魅力的な植木鉢を見つけることが 今のささやかな楽しみで
古い友人から好意で堤焼の鉢を数個頂きましたで、水抜きや空気の循環等を思考したり、
堤焼の体験で鉢を自作しようか等々 脳ミソの休憩時間にぼんやり楽しみながら考えております
「神農」 鈴木皐雲(すずき・こううん) 茨城県(1900-1948年)
植物に気が向いた今月という理由だけではなく、厚さんの感想も聞いてみたく掲載
神農は、私にとってとても魅力的な題材であります
初めて「神農」の存在を知ったのは、山岡鉄舟の主治医であった宮城県大郷町出身の医師・千葉立造の口述逸話を読んだ時であります。胃がんと診断された鉄舟がある時から薬を飲まなくなり、千葉医師が尋ねると「神農以前の人間の力を試してみようと云々。。」千葉医師は二の句が継げず「ヘイ」と返すばかりであったという逸事なのですが、明治時代初期にはまだ身近であった神農の存在。
そのおどろおどろしい風貌や、時に現代の感覚でちょっとコミカルにみえる表情をもみせる
あらゆる薬草を自らの身体で試したという厳しさ、済度の心、無垢純真。
それらの心情を織り交ぜ表現した表情であると察します
私は作者不明のこの軸を一目見て、神農の顔、眼、が数日頭から離れず忘れられませんでした
紙や墨が若く、いわゆる ”よくある神農図” とも趣が違うので色々調べてみると
やはり近代の作ということで、それも興味をそそりました
作者は明治33年 茨城県出身、
日本美術学院卒業、天覧、宮中進献の誉を受け、円山四条派の若手として注目を浴びましたが、展覧会への出品や、審査員への誘いにも積極的に腰を上げず、横山大観との文通でも中央に出ることを勧められていたようですがそうもせず、地元茨城の水戸に戻り、茶道教室をしていた女性と結婚。作品制作ではなく注文を受け描くというスタイルで絵を描いていたと親族の話がありますが、昭和23年、48歳という若さで亡くなられたようです。
よく見る神農図のほとんどは江戸以前のもので、「神農」というモチーフの特性上、特に著名な画家によるものでなければ季節ごとの掛け替えというよりは長期間掛けっ放しされたものが多いと推測され、その多くは焦げ茶色に本紙が焼け、シワ、割れがあり、色もくすんでおりますので、角が生え眼を見開いた総髪のその風貌はあたかも妖怪画の如くになっているものです。西洋医学が大々的に流入した明治以降、特に昭和、大戦後に描かれた本格的な神農図は私は出会ったことがありません。
こちらの軸、簡略された背景と、色の少ない殆どモノトーンと言ってもよい描き方から全体にモダンな印象を受け、しかし足元の地面や衣服等は筆数多く真面目に書かれ、そして顔は”神農らしさ”がシッカリと表現されており、私は大変気に入っております。表装直しせずともこのまま楽しめる状態、9千円。描かれた日時は明確ではありませんが、作者の制作期は戦争が長く続いておりましたので、終戦後数年間の作品ではないかと想像しております。昭和の時代にどなたかが注文されて描かれたものであれば、それもまた興味深い。しかし、たとえいわゆる世間的に知られた有名画家ではないにしても、手を掛けて描いた日本画、この時代でしたら軸装も機械ではなく手でしょうから、軸装代だけでも今なら最低3万~といったところでしょうか、絵が1万円もしないで手に入る悲しさ(今回は偶々作者不明という事で安かったというのもありますが)。
神農を掛け、自らの戒めとなし、さらに眼でも楽しめてしまえて9千円とは、ありがたいやら、寂しいやらで御座いますが、私のもとであとしばらくは生きて活躍して頂きます。皆様にも古い書画や墨蹟、手工芸品等に目を向け、温かい心と手を差し伸べて頂く機会があればと