仙台住 渡邊秀樹ブログ
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江戸時代後期、
林子平(はやし・しへい)(1738~93年)が著した「海国兵談」の一節
我が国を「海洋国家」と規定した最初の人物で、
子平が自費出版した『三国通覧図説』『海国兵談』が、
いまもなお我が国の広大な「排他的経済水域」(世界第6位)を
保障する根拠となっているようです
お墓の横には、伊藤博文が建立した石碑があり、
墓は昭和17年 国の史跡に指定されています
長崎に3度赴き、
ロシアの南下を警戒し 蝦夷地の確保を説いた
「三国通覧図説」を天明6(1786)年、
「海国兵談」を寛政3(1791)年に刊行しましたが、
翌年、幕府は人心を惑わすものとして、
子平に仙台藩での蟄居(ちっきょ)を命じ、版木没収、発禁の処分を受けましたが
その後、異国船が相次いで渡来し、子平の訴えが現実のものとなります
先見の妙、行動力
幾人かの理解者が居られましたが
無念
「親もなし、妻なし、子なし、はん(版)木なし、かねもなければ、死にたくもなし」と、
自らを 「六無斎(ろくむさい)」を名乗り、
翌年の寛政5(1793)年、56歳で亡くなられました
罪人として亡くなられたため 墓を建てることを許されず
死後48年たった 天保12(1841)年に ようやく幕府から赦免され、
翌年、甥の林珍平が 墓を建立
私は帰国後すぐに訪れた 龍雲院
宮城、仙台ゆかりの偉人として 全国に名を知られる 数少ない先達でありますが
「林子平祭」 は、年々 寂しさを増しております
「 あれは 町内のカラオケ大会だから! 」 と、
皮肉と寂寥を込めた 地元の方の冗談に 私は返す言葉も無し
土田昇
つちだ・のぼる
1962年、東京生まれ。三軒茶屋の土田刃物店三代目店主。
生前の千代鶴是秀のもとに通いつめた父・土田一郎より引き継いだ
是秀作品の研究家であるとともに、
木工手道具全般の目立て、研ぎ、すげ込み等を行う技術者でもある。
竹中大工道具館(神戸)の展示・研究協力。
ものつくり大学技能工芸学部、非常勤講師。
テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士としても出演。
著書
『千代鶴是秀――日本の手道具文化を体現する鍛冶の作品と生涯』
『千代鶴是秀写真集 1・2』
『時間と刃物』
『「室内」の52年』など。