2014年 8月15日投稿
本日、 8月15日
少年の 採用嘆願血書
口筆 紺紙金泥 大石順教尼 般若心経
尼、あまさん というと
皆さんは どなたの名前を 思い浮かべるでありましょうか
仙台を ” 第二の故郷 ” と語った 大石順教尼は
明治21年生まれ
11歳で 山村流 京舞いの 名取を許され
舞踏専一に修行、生活をしていた 順教さんは
若干 17歳 の時
俗に言う、「 堀江6人切り事件 」 の悲劇に遭遇
日本刀で 両腕を切り落とされたものの 一命をとり留めた 唯一の生存者
両腕を失い 踊りの道、将来への夢、希望が断たれたなか
来仙の折
滞在中の旅館で
カナリヤの親が、クチバシで 子に餌を与えている状景を見て 一念発起
口に筆をくわえ 文字を学び
出家得度後、
80歳の天寿を全うするまで
京都山科 勧修寺境内に 身障者の相談所を設け
傷病兵の慰問活動、身体障害者福祉活動に一生を捧げる
仙台人には 是非 知っていて頂きたい人物であります
自著、「妻吉自叙伝ー堀江物語」、「 無手の法悦 」は
古書店等で 比較的容易に購入出来ますので 一読御薦め致します
” くちに筆 とりて書けよと 教えたる 鳥こそわれの 師にてありけれ ” は、
仙台滞在中、旅館の庭で見た 鳥の教えを歌ったもの
順教尼は 時間が許せば 暫時 写経をし、希望者に無償で配っていました
元臨済宗妙心寺派管長、花園大学学長 山田無文老師 箱書き識の一幅に 御縁是有
口筆 般若心経、 順教尼の笑顔を 精霊に捧ぐ
2014年 8月15日投稿