氏神参り
瑞鳳殿 伊達の殿様へ 新年の御挨拶をし、青葉城址 護国神社へ
瑞鳳寺
伊達ノ殿様廟堂 瑞鳳殿参道
仙台藩 伝統的角松
二世同道の皆様へも御挨拶
市内より 青葉城址望む
金鵄不在 忠魂碑
護国神社
色のついた照明に 戸惑う
瑞鳳寺へ参りましたので
瑞鳳寺 南山古梁 払子(ほっす)画賛
「 何處惹塵埃 」
南山古梁 (1753~1839)
現在の神奈川県の農家に生まれ、幼少時に出家
月船禅慧(げっせんぜんね)に参じ、
月船遷化後は、その嗣 物先海旭(もつせんかいぎょく)に参じ 印記を得る
活発な禅機による 逸話が多く伝えられ、
” 仙台の一休さん ” と、トンチ坊主の様に たとえられたりもされていますが
綿密な宗風は 厳しい修業に裏付けられるもので
「 一事を学ぶこと三年、必ず成ることあり。
三年にして成らざるは その精神のならざるによれり。
汝ら これをいましめて むなしく日を消了することなかれ 」等の警句、
幼学の者への教導書もいくつか著している
書、詩歌にすぐれ、
特に書は、「海内無双」、「天下第一の能書」 と言われ
多くの文人、画家と交流を持ち、庶民にも非常に愛されたという
江戸・東禅寺で 仙台藩六代藩主 伊達宗村公の十三回忌が営まれた折
東禅寺で小僧をしていた 当時十三歳の南山は
仙台藩七代藩主 伊達重村公の袴に 誤って御茶をこぼしてしまう
重村公が 咄嗟に刀に手を掛けたところ
「 私が悪う御座いました、どうぞ存分にお斬り下さい 」
と、悪びれず 首を差し伸べ、
自身も豪快な逸話を多々残している 重村公は
南山の度胸に感心し 二人分の学資を与え 将来を約束したという逸話が残っている
仙台藩主伊達政宗公の霊廟を護る名刹 瑞鳳寺の住職を 三十七年に渡り勤める
本山妙心寺紫衣
南山古梁 払子(ほっす)画賛
「 何處惹塵埃 」
こちらは、前句として ”本来無一物”が 隠れていると推察され
本来無一物 何處惹塵埃
「 本来無一物を手に入れたならば、チリやホコリも ありゃせんわい 」
と云ったところでしょうか
瑞鳳殿といえば
仙台空襲での燃失があり、戦後再建に至るまでは相当な時間が掛ったのですけども
私がまだアメリカで、
戦後の瑞鳳殿再建についての資料本を読んだ時の事
「 昭和41年、政宗公の生誕400年祭に当たり 瑞鳳殿再建の世論が高まり~云々。。 」
という記事を見つけ、
” 昭和41年は ワシの生まれ年ではないか! 政宗公生誕400年!?
そんな切りのよい年に 生まれたという事か!
そうか、そうか、ワシは 400年後の 生まれ変わりという事にしよう! ”
などと、
ほんの束の間 有頂天になった事を 懐かしく思い出します
しかし、やはり、その様な ”大事な事” を、私が忘れるはずもなく
すぐに年表を見なおしたところ
生誕1567年9月 と成っているわけです
私は 1966年 1月
なんか、微妙です。。6と7 どちらかに揃ってないと 面白くない
でも、政宗公生誕400年祭は
私の生まれた年 昭和41年、1966年という事で、
数え年? 旧暦?
ムムム。。と、煮え切らない ガッカリ感を味わった事が 思い出され
懐かしんだ 今年の瑞鳳殿訪問でありました