2013年 10月1日
旅立神社 若林
発願
東日本大震災から 二年を目前とする 今冬
震災時 津波にて 愛妻愛娘を失いたる友人宅へ 盗人入り
金庫と共に 大金を奪われし事件有り
また、突然の病にて 母親を失われし 青年道友あり (私と同じ、47歳で天に召さるゝ)
1月には、米国永住を期し 医道を学びに日本を離るゝ長女を見送り 永年の別離をす
諸々の出来事 身辺で重なるも
不肖、経済困窮故 さしたる援助も出来ず
掛ける言葉も 虚しく感ぜられ
心 安らかならず
折しも、「滴水禅師逸事」反芻中にて
付録の愚庵和尚「巡礼日記」を 読み返しおる時なれば
その味わい、今までになく 身に浸み
次いで、西国巡礼なさった
私淑する 松島瑞巌寺 盤龍老師の逸事を 読み返せば
豈図らんや、数日後
松島 瑞巌寺檀家と思われる 西国巡礼者の 西国三十三所印譜に
昭和十年、盤龍老師が賛を成した 横額の墨蹟、手元に巡り来たる奇妙奇縁
さて、巡礼は 読む物にあらず、為す事なり と
沸々 機縁の 熟すを覚え
心身壮健、震災時の借財等も あらかた片付きたる今
肉親を失う者有り
地震、津波に因り、あらゆる心労、苦労の友人、知人 多数有り
又我、 心中 長年にわたる 慙愧有り
我が心の 満足のため
知古、ならびに東日本大震災被災者方々の 慰霊と結縁を願い
西国三十三所 徒歩通し打ち巡礼 発願した次第
2013年 1月 発願
2013年 10月 2日 出立
2013年 11月 3日 結願
鉄眼 天田愚庵
松原盤龍 老師 (嘉永元年~昭和10年)
(まつばら ばんりゅう)
松島 瑞巌寺 第百二十六世住職
嘉永元年、岐阜県岐南町に生まれ
16歳、同県江月寺にて出家
大分県 咸宜園(かんぎえん)にて
広瀬淡窓より 漢学を学び
京都 相国寺 荻野独園に参じ、印可を受く
明治39年~昭和10年(59歳~88歳)
松島瑞巌寺住職として、30年間の長きにわたり
質素、謙譲、陰徳、綿密、
語らず、行動で示す
“行の老師” “徳の老師” として
多くの人々に、 親しみ 慕われ
「聖僧」と呼ばれる、近代禅界を代表する禅僧