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タイからアメリカへ 23歳 (2006年筆)

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タイからアメリカへ 23歳 (2006年筆)

2006年投稿


 

タイからアメリカへ 23歳





今日 アメリカの写真を 整理していたところ出てきた


タイで撮った 唯一の写真

 





アメリカへ渡る前、タイに 3ヶ月程 滞在し


バンコクから ロスへ飛んだ  1989年 当時23歳





タイの写真は これ1枚しか見つからなかった





この時宿泊したホテルの経営者が


ムエタイのジムも 経営しており





無料で 地元の人間と トレーニング出来るというフレコミで

さぞ多くの 外人ファイターが いるだろうと思いきや 



宿泊客で トレーニングしたのは 私だけであった






ホテルといっても 確か1泊 250~450円位




裸のベニア板1枚で 隣室や廊下と仕切られた 3畳位の部屋




窓際の角に コンクリートで出来たトイレと


スチールベッドが 1つ有るのみ





何処からともなく流れてくる 「 ガンチャ 」 の香りの中



枕元の ヒシャクと水がめで 大用を足すなど





アジア初旅行の若い私には 新鮮で 面白い体験ではあったが




隣室のイギリス人ヒッピー君に 誘われるまま


ストーンしながら チベットまで足を延ばそう という気は全く無く




アメリカに向かう事で 頭が一杯であった





朝起きると 午前中いっぱいトレーニング



お昼時 練習生らと一緒に 彼らが 何処かから買ってくる



ビニール袋に入った 数種のカレー等 色々な惣菜を


白いコメと一緒に 手づかみで食べ

 




午後は 観光がてら バンコク市内をぷらぷら

夜は キックの試合観戦 というパターンを 数十日繰り返し




滞在後半は、自宅で夕御飯を振舞ってくれる タイ人の友達も出来た






最後の2週間程は

パタヤを避け コサムイ、コサメットへ 夜行列車で向かった




釣りなどをしながら 砂浜のバンガローで ノンビリ過ごす予定だったが



ノンビリ が出来ない性分の私は 2-3日で切り上げ




再び バンコク市内で 稽古等をして数日過ごし


アメリカへ 飛んだ







今 考えてみても

何故 タイに寄ったのか ハッキリと思い出せない





タイ人 とのキックを体験したかったのは 第一だったと思う


観光目的ではなく カメラも 持って行かなかった筈だ






誰が どの様にして撮り

私がこの写真を持っているのか 思い出せないが




隣の “ 野性的な顔をした ” お兄さんに頼まれ

一緒に撮ったのかもしれない







この  たった1枚の写真で



数十日間 タイ滞在の日々が蘇ってくる




意識して撮らないと 残らず  全く無いのも寂しいが




写真は 




少ないほうが  良いかもしれない


 







書きながら思い出したので 追記するが
 

この 私のタイ訪問 1-2年前に

私が今 籍を置いている 空手道場の道場主 長田賢一先生が



当時 ムエタイの現役のチャンピオン ラクチャートと


確か ルンピーニ・スタジアムで 対戦した事がある







観光で行ったところ 突然 試合をすることになった様で


稽古不足や コンディショニングどころか


旅行の疲れも溜っていた状態での 突然の試合で




試合後も 色々と大変だったと思われる





ハッキリと思い出せないが

その影響もあって タイに寄ったのかもしれない




この、突然組まれた長田先生の試合は



誠道塾の 中村忠先生等に次ぐ

(私はニューヨーク本部に通ったが、破門されてしまった)



顔面ルール、ムエタイ挑戦への草分けで

 
 
「 ソウル・ファイター 」 という ビデオにも成っている






長田先生は 私の1つ年上で

道場でも1年先輩であった




東 孝 先生 率いる 極真会館 宮城県支部が



「 空手道 大道塾 」 として独立する変換期の頃



総本部の 五橋道場で 一緒に稽古をさせて頂いていたのだが





当時から 実力抜き出ており




高校生にもかかわらず 大学生や 社会人を


文字通り 「 バッタ バッタ と 」 倒していた





長田先生は 高校卒業後 内弟子に



私は片親で、免許を取るだ、服を買うだと

小遣い稼ぎに アルバイトも多くこなしていた






同じ東北学院大に通ったのであるが、

実力は “ 趣味と本職 ” 程に広がり




その後 全日本4連覇、計7度の全日本優勝


ムエタイ・チャンピオンとの対戦、リベンジ戦、ヨーロッパ武者修行 等々、、




その実力、実績は 私と同世代であれば 知っている方も多いと思う





華々しい経歴などは 私の人物判断には 全く影響が無いのだが 


私は帰国後 あらためて 長田先生の人柄に惹か

将来の目標にも賛同した為




白帯から始める 師弟の礼をとり


“ 長田先生 ” と 呼ばせて頂いている









ご縁が有ったのだろう


私が 帰国直前、

 

 丁度 椎間板ヘルニアの手術をしたばかりの頃


マンハッタンの 「 ガーディアン・エンジェルス 」 の 道場で




関西の大道塾 塾生が 


大道塾ニューヨーク支部 を 立ち上げようと 活動していた







私は当時 大山茂総主の USA大山空手に籍を置き 稽古していたが



古巣 大道塾の噂を小耳にはさみ 


道場を訪れたり 彼の引越しを手伝ったりした








その時に 「 長田先輩 現役で 頑張ってますよ! 」 と教えられ


いまだ 盛んに稽古をし 泉に道場を出したばかりだと聞く





仙台の学生時代 私は内弟子の様に朝から晩までは 稽古しておらず



長田先生に対しては 実力の開きから



どこか ひけ目のようなものを感じていたのだが






アメリカでは 私なりに多くの経験を積み


若い頃の時間を取り戻すべく


稽古もしていたので 自信も付き





“ 極真ルールだったら 勝てなくとも、負けもしないだろう ” 

くらいの 
図々しい 気持ちで居た





もし 稽古を続けていなければ

仙台に戻っても 長田先生を訪ねたりしなかったであろう







それで 帰国前に 連絡を取り

帰国後 あらためて “ 入門 ” した次第であります






 
道場では、

古から伝わる身体操作、空手道の伝統的な型を学べ、



いわゆる ガツガツとした組手稽古ばかりではありませんので




仕事帰り、女性の方でも、年配の方でも、



身体操作の理合いを 身体を動かし学びながら



心も自由に、智慧も湧く という稽古であります







名実ともに 優れた道場主ですので

仙台近郊の方 どうぞ 汗を流しに来て頂ければと思います







こちら長田道場のHPを是非ご覧になってみて下さい


武人学舎 長田道場

http://osada-dojo.com/

大道塾 全日本空道連盟仙台西支部




2006年投稿


























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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
58
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「活人剣」
松島瑞巌寺 松原盤龍老師 書

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