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「唐手拳闘大試合」琉球唐手、本土へ。「雑誌 キング 第9号」大正14年9月(1925年)

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「唐手拳闘大試合」琉球唐手、本土へ。「雑誌 キング 第9号」大正14年9月(1925年)





歳をとった母親がいると、なかなか自分の時間がとれない

ブログを書く事は、生活上の優先順位は 最下位にちかいものでありますから


先週、Facebookで、本の表紙の写真を7日間、1日1冊づつ投稿するという事があり

そのために書いた解説を、そのままここにとりあえずアップしてみた











戦争や火災、地震、台風等の天災、昭和の紙類廃品回収をくぐり抜け、薄っぺらい紙の”大衆雑誌”が約100年後の今日、読める状態で残っていることは天晴れな生命力と言えるでしょう。

一見なんのヘンテツも無い古い雑誌でありますが、
私どもにとっては歴史のひと区切り、記念碑的1冊なのであります。
この前年、大正13年11月(1924年)に
大日本雄辯會講談社から創刊された雑誌「キング」は、
日本出版史上初めて発行部数100万部を突破した雑誌で、
創刊号から50万部+24万部追加の、ひと月74万部を販売。
大正時代の月74万部は非常に多く感じます。

さて、これに先立つこと8年前の大正5年(1916年)、
沖縄で小学校の教師をしていた船越義珍(ふなこしぎちん)は本土に赴き
京都武徳殿で唐手(カラテ・トーディー)型を披露。
松濤館流開祖と云われる義珍はその後大正12(1923)年、近代柔道の創始者嘉納治五郎に招待され講道館において数百人の柔道家の前で唐手型を披露紹介し、そのまま本土東京へ移住。琉球の唐手を本土で公式に紹介した先駆者と成ります。
しかし実際に唐手の型を見た者は講道館周辺の柔道家のみ、
さらに「型」の説明ばかりで「組手」をしない義珍の唐手は、
当時の柔道家からさほど興味を抱かれなかったようです。

組手を好まずそして経験も無い教育者であった義珍は、
同じく教育者であった嘉納治五郎とは思想は合ったのかもしれませんが、
身長150cmにも満たない義珍が型のみを披露しても、
日々激しい柔道の実戦乱取りをこなし突き蹴り技も含んだ諸流柔術の経験者である若い猛者達には響かなかったのかもしれません。

その義珍が東京に移住する2年前の大正10年、
もう一人の琉球唐手家、本部朝基(もとぶちょうき)が関西に出稼ぎに来ていました。
朝基は義珍とは正反対ともいえる理念の持ち主で、唐手術の実践性、強さを求め、喧嘩、野試合無数。琉球では3歳の子供でもその名を知らぬ者はいないと言われたほどの武名、いわゆる喧嘩無敵を誇っていたといいます。

大正11年、朝基はふらりと訪れた京都で、”拳闘対柔道”という柔道家が外国人ボクサーと闘う異種格闘技興行に遭遇し、飛び入りで参加を申し出ます。
平手のみの攻撃、拳での突きと蹴り技なしという悪条件でリングにあがると、
エストニア人ヘビー級ボクサーを、2Rに掌底突き1撃でKOしてしまいます。
朝基その時52歳。”5尺4寸の親爺が、6尺豊か筋肉隆々の拳闘家を手のひら一発で倒した”、
”琉球の武術「唐手」とは!?”。この日の出来事と琉球唐手の紹介が、
一夜数十万人の日本庶民へ「キング」誌9月号の記事によって伝えられました。
当時まだ琉球の一ローカル武術に過ぎなかった唐手の存在が日本中に知れ渡った、
”琉球唐手本土上陸”の瞬間でありました。




講談社の野間社長は熱烈な剣道の庇護者として知らぬ者は無く、
「キング」は高野佐三郎と中山博道の日本剣道型分解写真ポスターを付録に附けるような雑誌でありましたから、「琉球の武術、唐手」は、瞬く間に日本中の武術家・武道家の知る事とも成り、特に本部朝基の本部流は、「型」の船越義珍松濤館流と対比されるかたちで、戦後の日本で急激に広まった実戦空手、フルコンタクト空手の元祖とも云われる様になりました。

この雑誌の中には安岡正篤、徳富蘇峰、嘉納治五郎、著名陸軍大将等の筆も見られ、読み物としても楽しめますし広告等で当時の風潮も知ることが出来ますが、ついこの間までは国立国会図書館にも所蔵が無かったほどの希少号で、最近やっと篤志者の寄付で沖縄の「沖縄空手会館」にも収められ、ショーケースに展示されているとのこと。

私は、船越義珍にも本部朝基にも特に深い個人的愛着があるわけではありませんが
数年探し続けてやっと手に入れた1冊で、これは古書・読み物というよりも、琉球土着のローカルな武術であった唐手を日本全国に、それも強烈なエピソードと共に紹介した、空手、武道歴史上のパイオニア的ひとつの記念碑的物品という感じでしょうか。

この雑誌の発刊後、義珍、朝基の元には教えを乞う人々が殺到し各大学等に同好会などが生まれ始めます。この記事が無ければ日本全土に沖縄発祥の唐手・空手が広まるのは10~20年遅くなっていたであろうと言われています。




本部朝基の対戦相手と伝わる エストニア人ボクサー、J・ケンテル






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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
58
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「活人剣」
松島瑞巌寺 松原盤龍老師 書

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