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 仙台 渡邊秀樹

 仙台住 渡邊秀樹ブログ

西国三十三所 徒歩通し打ち報告なぐり書き、御要望あり再投稿

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西国三十三所 徒歩通し打ち報告なぐり書き、御要望あり再投稿


御要望により 一時的再投稿あと、数日間


2013年 10月1日


旅立神社 若林



















































= おことわり =


私 個人的には

今回の様な巡礼などは

夜中、誰にも知られずに行う お百度参りの様に、


コッソリ内緒でするものであり、

人に知られると、ゲンが下がると言いましょうか、その様に思っているのでありますが


私の仕事が お客様相手であり

ひ と月以上 お休みを取らせて頂くには、やはり告知説明の必要も感じまして、


では いっそ 告知するのであれば

皆さんが 余り知る機会も無いと思われる

「 西国三十三所巡礼 」というものを

私なりに説明して 知って頂くことは、

益でこそあれ 不益では無いであろう という考えからであります


さらに、

告知に伴い、多くの方々から 御理解、応援のお言葉

旅費の足しに してくれよと、御喜捨、物品等を頂きましたもので

経過報告の意味も含めまして

日々の書きなぐりをも ここに 暫時掲載した次第であります


















=2013年 投稿=




発願


東日本大震災から 二年を目前とする 今冬


震災時 津波にて 愛妻愛娘を失いたる友人宅へ 盗人入り

金庫と共に 大金を奪われし事件有り


また、突然の病にて 母親を失われし 青年道友あり (私と同じ、47歳で天に召さるゝ)


1月には、米国永住を期し 医道を学びに日本を離るゝ長女を見送り 永年の別離をす


諸々の出来事 身辺で重なるも

不肖、経済困窮故 さしたる援助も出来ず


掛ける言葉も 虚しく感ぜられ

心 安らかならず


折しも、「滴水禅師逸事」反芻中にて

付録の愚庵和尚「巡礼日記」を 読み返しおる時なれば

その味わい、今までになく 身に浸み


次いで、西国巡礼なさった

私淑する 松島瑞巌寺 盤龍老師の逸事を 読み返せば


豈図らんや、数日後

松島 瑞巌寺檀家と思われる 西国巡礼者の 西国三十三所印譜に

昭和十年、盤龍老師が賛を成した 横額の墨蹟、手元に巡り来たる奇妙奇縁


さて、巡礼は 読む物にあらず、為す事なり と

沸々 機縁の 熟すを覚え

心身壮健、震災時の借財等も あらかた片付きたる今



肉親を失う者有り

地震、津波に因り、あらゆる心労、苦労の友人、知人 多数有り


又我、 心中 長年にわたる 慙愧有り



我が心の 満足のため

知古、ならびに東日本大震災被災者方々の 慰霊と結縁を願い


西国三十三所 徒歩通し打ち巡礼 発願した次第






2013年  1月 発願

2013年 10月 2日 出立

2013年 11月 3日 結願













鉄眼 天田愚庵





































松原盤龍 老師 (嘉永元年~昭和10年)
(まつばら ばんりゅう)



松島 瑞巌寺 第百二十六世住職


嘉永元年、岐阜県岐南町に生まれ

16歳、同県江月寺にて出家

大分県 咸宜園(かんぎえん)にて

広瀬淡窓より 漢学を学び

京都 相国寺 荻野独園に参じ、印可を受く


明治39年~昭和10年(59歳~88歳)

松島瑞巌寺住職として、30年間の長きにわたり

質素、謙譲、陰徳、綿密、

語らず、行動で示す

“行の老師” “徳の老師” として

多くの人々に、 親しみ 慕われ

「聖僧」と呼ばれる、近代禅界を代表する禅僧













予定計画


巡礼予定総距離-約1100km

1日-12時間歩行 = 目標: 山中-20~25km、 平地-35~45km

予定日数-35日間+予備3日



三十三ヶ所巡礼道上は、江戸、明治時代の先達を鑑み古式を尊び

公共の交通機関等を使わず、 肉食飲酒せず (肉、魚、卵の類)

徒歩で通す


宿泊所は、1泊二千円~五千円以内の簡素な宿を選び

観光、食べ歩き等はせず 巡礼専一としますが

巡礼道上に 有意義なる遺跡、寺院、古墳等が有れば

時間の許す範囲で 訪れてみたい希望は有り


交通事故、夜道で足を挫く等のケガを避けるため 基本的に日照時のみ

朝5時頃~夕方5時頃まで、1日平均12時間程歩いたのち、寝所を探し

予定計画35日間プラス、台風や怪我に備え3日間の予備日を設け

仙台-名古屋間往復の 2日を入れ

約40日間、お店を お休みする予定


東国からの多くの場合、伊勢神宮へ寄る ”お伊勢参り”から始め

熊野三社、高野山へも参拝したもので、その場合 距離は 1200㎞を超えますが

生活のため、ひで屋の閉店期間は 最短にせねば成らないので

観光地化している感のある高野山は省き


徒歩で約6日間を要する

伊勢神宮から 札所第一番 青岸渡寺最寄り駅までは 電車で移動し


あくまで、 三十三ヶ所観音霊場の 徒歩通し打ち に専念する事にした



今回、私の歩く計画距離 約1100kmは、

(解りやすい距離にして、高速道 仙台宮城インター~高知インターほど)



認知度が高い 四国の八十八所 ”お遍路さん” 約1400kmに比較すると

距離的には若干短いですが


ほぼ平地で 宿泊施設等インフラの整った 四国お遍路と違い

西国は、山、峠越え多く、巡礼道上に民宿、旅館等 宿泊施設が乏しい事


又、多くのお寺が 8時ー5時で 門を閉ざすため

お寺開門中の 到着タイミングや

最寄りの宿泊施設への移動距離、時間、悪天候等を加味すると


最短期間通し打ちの場合、

野宿の必要性や、行ってみなければ解らない事等が あると思うので

歩行距離の延長等、予定日数は 計画通りに ゆかない場合があると思いますが

携帯電話を持ち、充電、発信出来れば 随時、進行状況や

結願、終了後の再開店日 目安の告知を

「ひで屋」ブログに アップするつもりです























=2013年 10月 1日  投稿=


出発前日の今日、 若林一丁目の実家から、 徒歩 数十メートル

懐かしい 伊達家ゆかりの 旅立神社へお参りに












=2013年 10月 10日  投稿=





皆様、いかがお過ごしでしょうか

私は、
腰から上は、元気にしております
10日目の 今のところ、色々ありましたが どうにか予定通りの日程で進んでおります、昨日やっと和歌山と大阪の境を越え、山をおり、電波がコンスタントにきてますので とりあえずご報告まで


5日目に 和歌山 熊野山中を抜けて、夜、ようやく電波が入る和歌山県田辺市に入りましたが それ以降も昼間は峠越えがあり、電波が入ったり入らなかったり

昨日の午後、 槙尾山を越え4番 施福寺マキオ様を打ち、大阪府 河内長野市に入りました、これから奈良、滋賀、京都と移動はほぼ電波の届きそうな平地に成るのでコツコツ歩き、時間に追われるキュウキュウな毎日ですが、お世話に成った方々へのご報告も 頑張ります


ちなみに昨日は、

朝4時半に起き、5時から歩き始め、霧雨の中18キロほど平地歩いたあと、豪雨の中 標高600mの槙尾山を海抜6mから登り越え(霧雨が、登り始めたら滝の様な豪雨になり、山頂手間で晴れる、台風がちょうど通過したらしくその後は快晴)山越えしたが
都合36キロ歩き、夕方5時半に区切り、宿に着いたのが8時過ぎ

宿に着いてから毎日の流れは、

まず、褌、靴下等 衣類を洗濯し干してから、ヒザ下を20分間水で冷やし、足マメの処置、マッサージと 脚、腰のケアに1時間、これを必ずしないと翌日歩けないです。地図を見ながら経路、時間の計画を立て翌日の準備をし、その日の日記を書こうとして そのままペンを持って寝てしまう感じで、携帯に触る時間も無い毎日ですが、御世話に成った方々へのご報告 これから頑張ります

足は かなりダメージを受けておりますが、気持ちは元気であります














=2013年 10月 18日  投稿=


台風は分かっていたので事前に調整し、どうにか最小限の影響でやり過ごせました。雨の日に宿所で少し書きましたので11日目までとりあえず、急いで書いたので誤字脱字読み苦しい点御容赦


これからは簡潔に 報告程度になるかと思いますが、今日は、初日から数日分をまとめて 出来事などを書いてみたいと思います







1日目、伊勢神宮参詣、雨にもかかわらず、翌日の式年遷宮の準備や、報道陣、観光客多く、 おもむき無きゆえ 早々に退散。持参した紙には御朱印頂けず 少しく意気消沈




2日目、早朝、宿所へ荷物をおいたまま、新宮市 神倉神社、熊野速玉大社 参詣。神倉神社 538段の鎌倉敷き石段 まさに崖の如くにて、御燈祭り ここを駆け下りるは 命を賭す気狂い沙汰と思へり。されど、参詣、下山後、今いちど引き返し登りたし と思わせる魅力あり、後ろ髪引かれつつ速玉大社へ向かう。速玉大社、先年の台風による被害の改修工事 所々であるも、きらびやかで荘厳、おもむきあり。持参の紙に御朱印頂け気味良し。そこから電車にて那智へ向かい、那智駅から三十三所 本格的に歩き始める。気温30度、日差し強く難儀。那智一帯も先年の台風による河川の氾濫で新築工事中の家、解体され基礎だけの敷地多数あり、川も護岸の 大工事中で、古道も いたる所 封鎖されており、やむなく歩道の無い国道を歩き、大門坂登り、第一番札所 那智山 青岸渡寺、熊野那智大社参詣。午後に成り、今夜野宿する予定の 舟見峠休憩所 目指し 一気に那智山を登る、石畳の急坂 厳しきこと言わんかたなし。舟見峠に辿り着いたるは午後五時半、風強し。峠のアズマ屋、着いてみたれば 屋根にベンチのみにて、風をさえぎる壁面等無く、寝袋のみでは眠れそうになし、されど他に雨風しのげる休憩所は 徒歩で約2時間先の地蔵峠のみ。すぐさま意を決し、ヘッドランプを頭に付け、地蔵峠へと、舟見峠の休憩所から薄暗い峠道に出るやいなや、巾1m程の峠道を ふさぐ 大イノシシに遭遇せり。距離4?5m、背高 我の腰ほどあり、身幅60、70cm 、峠道をほぼふさぐ巨体なり。にらみつけても退かぬゆえ、大声一番 "おじゃまします" と 叫べば 、猪 脇の林に逃げ失せり、その時の 地響き 凄まじきこと、地を揺るがすとは此の事なり、競馬馬のそれとは比べ物にならぬホド 重く腹に響けり。思うに、 猪は 山の使いにて、夜の峠道歩くは 危うき故 思いとどまれヨ という老婆心の使いかと

一日中 人に会う事も無く 山を歩けば 、か様な思考湧きいでし

その後は、
お邪魔しまーす、 お邪魔させて頂きまーす! と、大音声 に叫びながら 闇夜の峠道 早駆けに駆け 1時間半後、 無事 地蔵峠に着き 夜を越す。 猪、と、水、此の日は二度助けらるる、水の事は又の機会に。朝 ざるそば1人前、昼、夜バナナ計6本 あまり食わぬが腹減らず





3日目、
五時起床、水とカロリーメイト、菓子パン1つ摂り、六時スタート
地蔵峠より 熊野古道最大の難所と云われる大雲取り峠登り、その急坂下る途中、丸一日ぶりに人を見る。三歩登っては ひと休み、三歩登っては ひと休みと 峠の急斜面登り来る、スニーカーに野球帽のラフな普段着なり。すれ違いに挨拶し、失礼ですがお年は と尋ぬれば、御年 七十六才。来年 喜寿ゆえ、 記念に熊野古道登破すべしと、天晴れな壮年、 その心意気に 大いに発奮せり

その後 、その日すれ違いたるは、10kg以上の フル装備背負うた
61才 スイス人、20代のイギリス人の 2人のみ。夕方5時、日暮れ前に無事山を下り、アスファルトの県道1時間歩き、熊野本宮着
野宿とりやめ ゲストハウス投宿
惣菜屋で ごはんと、高菜漬け物一袋、キャベツ半分買い 夕食とす






4日目、
そば粥3杯、梅干摂り、6時半出

熊野本宮大社 くまのほんぐうたいしゃ参詣、発心門集落 ほっしんもんしゅうらく 経由し いわゆる熊野古道を逆行す

本宮 唯一のコンビニエンスストアーに 梅オニギリ2つしか無し、今日は夜6時頃まで商店なき故アンパンも2つ買う。登り下り 峠道黙々と進み、午後3時半、困り果てたる態の男女に遭遇す、今日初めての人間也。湯の峰 ゆのみね へは あとどれほどで着きましょう?と、片言の日本語で道を尋ねらるる、聞けば台湾からの観光客なり。英語が出来るならば どうぞと言えば、大喜びで まくし立てる。湯の峰の宿をネットで予約しているが、電話、ネットが繋がらず、地図も無く、数時間途方に暮れているという。普段着にハンドバッグを持ち、 男性もファッションブーツと、街中に買い物に出る様な風体なり。湯の峰までは4時間、道 いと険し、女の脚では5時間は要し 途中 間道無し。夜は雨の予報で 現に雷も鳴っておれば、今来た道を すぐさま戻るべし、2時間程戻れば県道へ出る間道あり、さらに1キロ程でバス停もあれば 電話も繋がる可能性あり、日没前に 県道に出るべしと言いければ、地図も雨具も無ければ 案内してくれよと、宿にも電話をしてくれよと懇願す。唯一の地図を渡すわけにもゆかず、諾し同道す。五時半、間道から車の走る音聞こえければ、男女歓喜 し、オオ 貴方は白い衣を着た救いの神、命の恩人であると、バス停まで連れ行き、宿へ電話すれば 主人こころよく 車で迎えに来ると。日も暮れかける六時、主人自ら迎えに来たり。歩けば6時間かゝる峠道も 車で30分也、男女 打ち喜び、同道すべし、お礼に 今夜の宿と夕食を接待したしと申し出るも
我、2時間半の予定遅れに加え 湯の峰は さらに逆戻りと成るゆえ 謝辞し、主人知古 野中の民宿へ車にて送って頂く。男女、湯の峰主人、 降車し礼を述べらるる。
その晩、急な素泊まりなるも、民宿の女将 気を回し、梅干、昆布の握り飯 にわかにむすび 喜捨さるる、ありがたき事也。






5日目、
六時起床、宿にて 飯に味噌汁かけ五杯平らげ、昨夜のバス停まで御送り頂き 歩き始める。昨日の遅れ 約3時間分取り戻すべく、小坂峠から峠道を降り 舗装された県道を早歩きにて進む。昼、民宿のムスビ3つとタクアン 路上で点心す。良きも悪しきも此のため 後々一週間程苦労す。目的地の 田辺市内 宿所到着 夜七時半。アスファルトの下り坂 12時間半、40km以上歩き 足の疲労甚だし、全指先にマメこしらえ、足袋が脱げぬホド足腫れ上がりたり。土道は足に優しけれど、下りの舗装道は 酷く足を傷めると痛感せり。されど かろうじて昨日の遅れ取り戻したれば 双方痛み分けと云うトコロ也。四日振りの街、食料も易く手に入ると想像し、歩き通し来たるが、田辺駅前、コンビニ、すき屋、吉野家等のチェーン店一切無 し。宿に入り荷物おろし、足袋脱げは、外出する気力も失せ、足の手入れをし、非常食のソイジョイ2本食べ就寝。






6日目、
四時起床、5時より歩き始める
前夜、宿の主人に聞いたコンビニへ立ち寄り、梅、昆布お握りを6つ買い、その場で3つ食べる。
此の日は田辺から海沿いの県道を北上。古道で二度迷い1時間以上ロスする。 昼過ぎには気温35度となり、直射日光、アスファルトの照り返し厳しく、足も痛み出す。熊野の峠道 楽ではないが、舗装道ハ 足裏に厳しく、土の道懐かし
目標の1時間前で 脚動かなく成り、此の日は 先を考え無理せず 近くの電車の駅で区切る事とす。翌日へ持越したくはないが、長丁場ゆえ 故障を未然に防ぐ判断のしどころかと冷静に。昨日の早歩きのツケである、宿に戻り冷水で冷やし、マッサージ、マメの手入れをし 知らぬ間に眠る







7日目、
昨日 一日掛けて歩いた距離も、電車で わずか25分。駅から歩き始め、ひたすら進む、この日も暑く30度以上あり、昨日同様5リットルの水を飲む、300mの山二つ越えるも32km歩き 足のダメージ多し、下りの舗装路キビシ







8日目、
この日は300m程の山を二つ越す古道と、迂回する国道の選択肢あり、古道をとる。アスファルトを避けたつもりが、 ミカン農園の便利の為か、山越えの古道も全て舗装されており、下り道の急斜面に苦労す。夕方、二番札所 紀三井寺参拝。ヒョコヒョコ歩きの態に成り、日没後 七時半宿所 着
この日も 山越えし 27km歩き 足紫色に腫れ上がり厄介なり







9日目、
五時起床、五時半出立。9日目にして初めてマクドナルドの看板目にする。八時 三番札所 粉河寺 参拝。今日も気温30度以上、途中から霧雨ふり、折りたたみ傘さし歩く、途中何度か 乗りますか?と親切なお声掛け頂くも丁寧に御断りす。十一時過ぎ、槙尾山ふもと、本日最後の商店で菓子パン買いだめ、標高600m 槙尾山登り始める。30分も行かぬうち 急に滝の様な大雨と成り、斜面 川の中を歩むが如し、傘も役に立たず 全身ズブ濡れに成るも、この大雨の中、地下足袋、折り畳み傘で山を登るは我のみヨ と、痛快な気分にて 歩み進ム
暫らくし、近くに住む柿農家の主人 通り掛かりに 軽トラから声掛けられ、雨雲去るまで ウチで茶でも飲むべし ささ乗られよと。送ると言わぬトコロに妙味あり、導かるるまま車に乗る、思慮挟む隙一切無し。茅葺きの大きな家につけば、御婦人、有り合わせのものなり と、飯に漬物、梅干など、昼食のおもてなし受く。我、足袋、靴下、衣服ずぶ濡れなれば そのまま玄関先にて失礼と、傘立てに腰掛けおれば、御婦人納屋から折り畳みの卓袱台を持ち来たり、至れり尽くせりの御接待受く。御婦人、宮城は金華山へ三 度御参りに訪れた等々 お祖母様までお出でに成り 緩やかに歓談楽し、一時間もせぬウチ 雨雲去り快晴と成る。柿を五、六個頂き、主人に道路迄送らるる。主人云はく、我も若い時分 四国遍路した折、 地元の方に色々助けられし、これそのお返しのツモリなるが、声を掛けるべきや否や迷うたのじゃ、、歩みを止め 迷惑にはあらざりしやと。イヤ、足の痛み、雨音までも忘るるほどの楽しき御時間、全てに有り難いばかりであります と。珍客の来訪も 茶飲み話しの種になれば それも良し。雨でぬかるんむ山道4km 二時間登るも、アスファルトより易し。 四番 施福寺 参拝、河内長野市まで下る。宿無く、電車で大阪市内のスーパーホテルまで行き泊。








10日目、
ホテルの朝食バイキング、
ひじき煮、漬け物で
白メシ したたか食う。途中、藤井寺市の商店街にて 1400円で 散髪。五番 葛井寺参拝、源氏三神社の一つ 壷井八幡神社、八幡太郎義家の墓参る。八幡太郎の墓所 小山ひとつナリ、まるで小さき古墳の様なれば、我も命あるうち 斯様なはたらきしたいものぞと思う。太子町越え、夕暮れ間近、竹内峠の道の駅で足休め、この路肩なき国道の山道 車に迷惑かけず いかに歩くか思案し、隣りで休む男に道尋ぬれば、ワレ送るべしと言い、この日は4キロほど車にて送られたり。危険な道なれば、ここは大人の判断したり、後 悔なし。奈良県高田市泊







11日目、
高田市の旅館から この日は、六番 壺阪寺、七番 岡寺、八番 長谷寺、番外 法起院と 四カ寺 打ち、桜井の旅館へ投宿す
山一つ入れ 40km歩き 足は痛むも、 四度の参拝で 参拝三昧
心境充実せり

ただし、壺阪寺は醜き寺なり。オリジナルの目薬 1500円等、土産物多数、俗な商売いたし、寺あたかも新興宗教施設の如し。我、飲み水はどちらにありますか?と尋ぬれば、お水は販売しておりますので こちらを ご購入下さいなどと ほざきよる恥ずかしき寺ナリ、ココだけは足早に退散す







=2013年 10月 23日  投稿=


12日目、
5時起床、桜井から奈良県を真っ直ぐ北上、予定外だが、小用をたしに 大和神社 おおやまとじんじゃ へ たち寄る。ここは先の大戦における 船艦大和 乗員の慰霊祠あり、神主とも話し出来 思いもかけず 良い訪問、神主から 氷砂糖の御喜捨受ける、ありがたし。そのまま 北上し、午後二時ころ、九番 奈良 興福寺 南円堂 参詣。外国人多し。その後約2時間半北上し 、木津駅で区切り 電車で奈良駅へ戻る。奈良市内 たかまゲストハウス泊、 一拍 2000円也




13日目、
四時起床、四時半出、奈良駅 始発電車で 木津駅まで行き 歩き始め、午前中に 十番 三室戸寺 参詣、夕方、十一番 醍醐寺 参詣。納経を受ける筈の 醍醐寺 ジュンテイ堂は 落雷のため全焼し 代わりに観音堂で参詣、納経。又、次の札所 十二番 岩間寺、先の台風による土砂崩れで 道ふさがり復旧中ゆえ、岩間寺代表の僧 醍醐寺観音堂に出向し そこで納経受けらるる。御朱印もここで受けられしが、朱印専門の仁にあらず 一僧侶なれば、 その不慣れな文字もまた 微笑ましく楽し。





14日目、
山中の土砂崩れで 十二番 岩間寺 封鎖中なれば、徒歩では 山スソの十三番 石山寺へも行けぬ故、朝、宿から、山の反対側まで電車で行き、駅から歩き始める。石山寺参詣し、琵琶湖沿い歩き 大津から十四番 三井寺参詣。ここでも本来 小関峠越し、十五番 今熊野へ参る予定が、小関峠 同じく土砂崩れで通行止め故 仕方なく、一旦 大津まて歩き戻り、電車で一駅 、小関峠下のトンネルくぐり抜け、やましな駅下車、歩き始め、何度か道に迷うも どうにか 今熊野寺 参詣し、京都市内の宿まで歩く。京都 、先の台風の被害多し、




15日目、
この日は、台風26号接近中 午後から雨の予報故、予定調整、3時45分起床、4時半 出発。まず、伊達の殿様 秀吉から拝領した 京都伏見の 屋敷跡に建つ 海宝寺訪れる。早過ぎたか 山門閉じておるゆえ、この周辺の まさむね町と伊達街道 徘徊す。6時過ぎ、再び海宝寺へ、山門開きおり 静かに入山し、 本堂へ参拝。小さきお寺なるも 手入れ行き届き 喜ばし。ふと気付けば 寺守りの女性、山内の御堂、祠 まわり、慇懃に朝課、読経務めらるる、住職の奥方か。気付かぬ体にて 伊達の殿様 御手植えと伝わる 樹齢四百年以上のモッコク眺めおれば、先の女性 忽然と目の前に現れ、どちらからお越しですか?と尋ねらるる、宮城県 仙台市なりと答え、来訪の意図など語りければ、台風なので閉めておりましたが、それではこれから 伊達様の御位牌を お祀りしてある本堂の扉を開けますから、御覧に成っていって下さいと 裏手に回り 、胸上の扉を内側から開き、ササ 中へ ドウゾ と招き入れられ、さらに 壇上にある殿様の御位牌を眼前に おろして下され、、これら一連の出来事は、寝る前に携帯でササっと書くのは困難なため また日を改めてお伝えしようと思います、とにかく私は、感激のあまり興奮状態のまま、その後一日中 雨の中 16番 清水寺から、17番、18番、19番 六角堂まで参拝し、
私の祖先 渡邊綱 ゆかりの地、一条戻り橋、羅城門跡地を訪ね、楽美術館寄り、帰宿したのであります




16日目、
3時45分起床。台風故、今日の参拝予定は、昨日あらかた済ませ、今日は午前中雨故、ブログ書く日に当て、午後から、私個人の希望地を訪れる、清涼寺へ 源融とおる墓参、臨済宗天龍寺、北野天満宮へ参り 渡邊綱 寄進の石灯籠拝見し、京都市内の宿所へ戻る




17日、
五時起床、五時半出立、この日は、源頼光、渡邊綱ゆかりの、大枝山にある 鬼の 首塚大明神に行くため、京都市内の宿所 トマト ゲストハウスから、山陰街道を通り 、亀岡の21番 穴太寺へ逆打ちに参拝し、最寄りの亀岡駅で切る。戻り道に、京都 妙心寺へ寄る。




18日目、
4時45起床、宿所から始発の電車で亀岡駅へ行き 歩き始め、20番 善峯寺 参拝.標高300m程だが京都市内一望に。そこから、22番 大阪 総持寺目指し、サントリーウイスキー工場のある山﨑で暗くなり、ココで切る。山ひとつ越えたが35km歩き 充実。





19日目、4時半起床、朝5時、京都の宿から電車で山崎駅へ向かい、歩き始める、雨強し。楠公史跡 桜井の別れ 巡礼道上にあり、立ち寄り涙す。昼前、22番 総持寺昼過ぎに参拝し、午後、23番勝尾寺 参道 山のふもとで切り、大阪の友人に迎えに来てもらい、渡邊姓 発祥の宮 坐摩神社参り、渡邊綱が馬を停めたと伝わる大樟訪ね 友人宅泊。





20日目、
昨日 区切る 勝尾寺ふもとで友人と別れ 山登り始めると同時に 大雨となる。しばらく登ると、杖つく参拝者と すれ違う。
おはようございます、どちらの行者様でしょう? 宮城県仙台市からです。 其れは ご苦労様です、雨で滑り易いゆえ 御気をつけて。
すれ違いざま 簡単に 言葉を交わせば、二、三分後、
足下で突然 法螺貝 太く けたたましく鳴り、大音声にて真言の様なる 声響く。さては、先ほどの者より我への 激奨なりと、 大いに鼓舞さるる。生の法螺の音 始めて聞きしが、戰、出陣の気分と成るは 、今回巡礼中屈指の 味わい深き出来事なり。其のまま 勇み、23番 勝尾寺、24番 中山寺 打ち、宝塚市で切り、川西市の小童寺に渡邊綱 廟堂参り、同市のユースホステル投宿





21日目、
4時半起床、5時過ぎ 多田神社参詣、宿所のユースから徒歩15分ばかり也、これで源氏三社詣で満足也。中山寺へ電車にて戻り歩き始め、兵庫県 25番 播州清水寺へ向かい、三田市 相野駅まで歩く。天候良し、歩道や路肩無い国道、県道多く、神経使うも 、足の故障無く 39km歩け 安心、充実。三田市に宿所空き無く、電車で篠山口まで行き泊。




22日目、
4時起床、5時過ぎの始発で あいの駅向かい、歩き始める。午前中 25番 清水寺打ち、夕方暗く成るまで歩き どうにか 29番 一乗寺のふもとまで辿り着き、ココのバス停で切り、姫路駅前の宿所までバスで移動




23日目、
4時起床、くせになり早く目が覚める。始発 7時10分のバスで 昨日区切ったバス停まで行き、7時50分 そこから歩き始め、兵庫県 26番 一乗寺に9時10分着、参拝、雨が降り始める。22km西の 27番 圓教寺 370mの山登り4時に参拝間に合う、下山して5時、雨の為既に薄暗く、ここ書写山のふもとで切り、姫路市の宿所へバスで移動す。明日から3日掛け、日本 海天の橋立にある28番 あいなり寺へ向かう

今日から三日間、雨の予報、
台風どうなるか





=2013年 10月 30日  投稿=


24日目、
昨日登りし、27番 圓教寺、書写山ふもとの町までバスで行き 歩き始める。今日は、山越え 峠道半分、舗装されし平地の古道半分。
午前中、まだ雨が降らぬうち 峠を二つ越せて少し気が楽に、午後から雨降り出す。暗くなるまで歩けるだけ歩き JR 駅 で切り 宿所へ電車で戻る




25日目、

歩かず 休みとす

足、揉むも、冷やすも
腫れ、痛み 消えず
地面に着けられぬ ありさまと成る

また、昨夜から強い雨続き
豪雨

今日の予定は
山と山の間、谷間 川沿いの道

兵庫北部に 豪雨 洪水警報が出おり、色々考え、今日は 休養日とし この谷間の古道は飛ばす事にした。また、姫路北部の山で 今日、線路に1.5mの落石、電車の正面が潰れた事故あり、鉄道も運休。歩く古道は地すべり、崖崩れ要素満載な道ばかりなので、明日予定の峠二つも 道がふさがってないか、なんとも言えぬ感じである

5日目 の無理が祟った 足底筋膜炎だが、目標の結願、あと10日間 どうにか もたせるため、最後の大きい町 ここ姫路 駅前の東急ハンズにて、土踏まずのアーチを
おおきくサポートする 厚めのインソールを購入し、一日歩かず 足を休ませてみる。
歩かぬ日は 25日目にして初。悪い事をしている様な うしろめたい気分である。ツラツラと考えみれば、どうにか ダマシ ダマシ 使ってきた足だが、歩行8時間以降と10時間以降、極端に 痛みが倍増する。午前中は2時間に一度、午後からは1時間に一度づつ、足袋を脱ぎ、マッサージとストレッチをきてきたが、ここまで腫れがヒドイと、その場 は楽に成るが、強く揉む事は 余計傷める逆効かとおもわれ、明日からは揉まないことにし、宿所での 冷やし、温め、ストレッチ&抗炎鎮痛軟膏だけにしてみる




26日目、
一日休み 足痛み少なければ、進めるだけ進み 日本海まで 残り約6時間 与謝野町までたどり着く
休んだ為か 歩け幸い。しかし、
我は 平常通りのツモリでも
ハタ目には違う様

夕方雨降り始め、暗く成り
県道から外れた 山中の宿までの道迷い、宿主迎えに来





27日目、

弱った爺さん の様に 歩いていた

との事で、宿主同情し、山ふもとまで車で送って頂く
天の橋立 見下ろす山上、28番 成相寺 打ち、日本海沿い進む

途中、近隣のハーレー乗りの方、連絡くださり、路上の我を見つけ、陣中見舞いにと、松茸めし、菓子、飯代等喜捨さるる、有難きこと也
予定以上、西舞鶴まで進む




28日目、
前日、28番 成相寺にて
29番 松尾寺、大雨による土砂崩れで通行止めと聞く、徒歩 如何と聞けば 多分 可也と。舗装路全て封鎖中故、急斜面の間道登れば 其処も所々崩れ 落石倒木おびただし。土砂崩れ現場着いてみれば、土砂 道を塞ぐにあらず、舗装路 崖下に崩れ落ちたる体也。其れでも山の反対側から車、バスで来る観光客多数、殆どが御朱印集め也。参拝終え下山支度中、偶然 隠居した元住職 松尾心空 氏 通り掛かる。氏は、我も参考にした 巡礼古道地図の著者なれば、お声を掛け礼を述る。氏、徒歩通し打ちと聞き喜ばれ、しばし待たれよと、松尾寺開山 千三百年記念 の出版物 頂く。それには 山岡鉄舟 剣道悟入覚書、猫の妙術、の引用あり 、我其の内容を諳んじておる事に 驚き喜びて しばし歓談、今一度部屋に戻り、ササこれも と、紙袋ひとつ蜜柑頂く。入山料とらず、決して豊かではない古刹であるが、我が頭に想描いていた 西国霊場らしき寺なり。此れ迄では 26番 一乗寺同様也。
松尾寺 仁王門下にて 頂いた甘いミカン 全て腹におさめ下山。若狭 小浜 近く迄進む




29日目、
小浜市(オバマ市)ふざけた看板やポスターでも在るかと 通り過ぎるが 何も目に付かず、良い町なり
熊川宿過ぎ、山に入り、琵琶湖まで今少し で 切る




30日目、
昼前には、 30番 琵琶湖 竹生島の宝厳寺打ち、午後 彦根市入り
南下。昨日歩き過ぎた為か 今朝 起きても 足、ドラえもんの様に 腫れたママで 足袋入らず苦労し
其れ故、足の甲、指の背にまでマメ作る。四時に切り上げ 足休める
残りわずかなれば
腱に 鋭い痛み出る前の 切りあげ処 肝要なるべしと、足具合、時間行程の微調整し もたせ、 結願目指す





=2013年 10月 31日  投稿=

31日目、

皆さん、 メール等ありがとうございます、足の具合は書かないでおこうかちょっと考えたのですが、まあ、現状報告なので、突然リタイア と書いたら、なぜ?と成るかとも思い正直に報告したまででござんす。今朝はまだ違和感無く歩けています。31番 長命寺の山が3キロ先に見えており、結願まであと100キロちょっと位でしょうか、今日は山二つ、長命寺が550段、32番が 880段かな階段あり 強敵ですね、準々決勝で優勝候補に当たった感じかな




=2013年 11月  1日  投稿=


31日目、
気合入れ、300m、400m の山 ふたつ越し 30km 以上歩く。
暗く成った 5時半過ぎ
今回 最も楽しみにしていた
場所の一つ
東嶺禅師生誕の地で 切る

31番 長命寺 808段、
32番 観音正寺 は
1200段 といわれる石段だが、ここも
参道 土砂崩れで封鎖しており
桑実寺経由で登る
こちら急坂に2千段以上の石段があったのではないかと思われるが
登りは 疲れ清々しく 苦にならない




32日目、
彦根過ぎ
目標の 醒ケ井宿 さめがい 越え
かしわばら まで行く

関ヶ原古戦場跡目前






33日目、
朝一番、 不破の関 越える
ここからが 関東

関ヶ原に着き、まず西の首塚、
ここも必ず来たかった
至道無難禅師碑
東の首塚、家康陣地跡、決戦場 等 徘徊し
中山道の 古い街並み進み
いけの駅で切る

結願 33番 華厳寺まで
あと約5時間の距離

順調に行けば、33番打ち、
お礼参りに
岐阜県岐南町 盤龍老師剃髪の
江月寺 参拝す

今のところ
6日 水曜日から
仕込みしながら店開ける予定であります、よろしくお願いします





=2013年 11月 3日  投稿=


おかげさまで 無事
三十三番 谷汲山 華厳寺 打ち、結願出来ました。

応援、御協力 ありがとうございました


6日 水曜日から お店におりますので、

宜しくお願いします



岐阜県岐南町 盤龍老師剃髪の 江月寺 参拝す













西国三十三所 巡礼
(さいごくさんじゅうさんじょ じゅんれい、さいこくさんじゅうさんしょ)


西国三十三所巡礼は、 起源が718年とされ、 990年頃から 徐々に広まり

室町時代から 宗教者(僧、修行者、山伏)に定着し、江戸時代に入り 民衆化した

日記等、文献が残る史実としては

800年以上続く 日本で最も歴史のある巡礼行


和歌山県、奈良県、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、岐阜県の

5県2府に点在する 三十三ヶ所の 観音信仰霊場をめぐり

本尊である 「観音菩薩」 との結縁(けちえん)を願って 参拝し、読経、

あらかじめ準備した写経を お布施としての納経料と共に お寺に納めるもので

関東、秩父観音巡礼、坂東観音巡礼の ”東国 ”に比して

” 西国 ”と呼ばれる


「三十三」とは、「観世音菩薩普門品」(法華経)に説かれる

観音菩薩が 衆生を救う時、“三十三の姿に変化する” という信仰に由来する




現代では、「巡礼」と言うと


四国の八十八所「お遍路さん」を 思い浮かべ、混同する方が多いかもしれませんが


「お遍路」は、

弘法大師がめぐった四国に在る八十八カ所の霊場を辿るもの

つまり、” 弘法大師の足跡をたどる ” ものであります



「巡礼」とは、

その宗教に固有の聖地・霊場を巡拝することで、

西国の場合は、三十三ヶ所の 観音霊場をめぐるものであり

全く別の物であります




「お遍路」は、

年間30万人を四国に呼ぶ 観光産業としても成り立っており

雑誌や、テレビ等でも 盛んに取り上げられるなど

目に耳に触れる機会が 多いからでしょう


四国のお遍路道は、ほとんどが平地で、指導標が整備され

道路、宿などのインフラ、ガイドブック等も充実しているので


最近では、癒し、自分を見つめる旅 等の目的で

年齢性別を問わず どなたでも、伝統と、山海の景色、地域の食べ物を楽しめる

体験型観光の一つと成り得ています




西国三十三所「巡礼」は

山越え、峠道が多く、巡礼道が複雑なうえ

指道標等の 道案内が整備されていない事


加えて、

多くの寺院が 山中、山上に在り、夕方には門を閉ざし

宿坊等の 宿泊施設無く、寺院周辺、巡礼道上にも 宿泊施設、商店等が乏しいため

徒歩巡礼者にとっては、

宿と食料の確保が 面倒な事が 一般普及しづらい理由と思われ

特に徒歩通し打ちを希望する方には 大きな壁と成っているでしょう


江戸、明治時代には、2、3か月から1年以上をかけ 通し巡礼をした西国霊場も

現代では、自家用車、公共の交通機関、旅行会社のツアーで

週末等に 数ヵ所を訪れ

幾度かに分け、長い期間をかけて 三十三か所を巡るのが 一般的となっている様です



近年、西国巡礼道に一部重複する ”熊野古道” が世界遺産登録され

メディア等で触れる機会が増えたと思われますが


四国の「お遍路さん」よりも、歴史、伝統のある 西国三十三所「巡礼」は

仏教に興味のある方以外には、まだまだ馴染みが薄いかと思われます


これを読んでくださっている皆様には、この機会に

日本の代表的な 伝統宗教行為の1つ

「 西国三十三所 巡礼 」


記憶の端に留めて頂ければと思います







































































































































































































































































































































































 

















































































































 





























































































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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
58
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「活人剣」
松島瑞巌寺 松原盤龍老師 書

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