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千葉立造 累卵の碑 大郷町 糟川寺、支倉常長墓所 訪ねる

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千葉立造 累卵の碑 大郷町 糟川寺、支倉常長墓所 訪ねる


2013年 4月30日









先週昼間、2日続けて


のどかな田園風景に 心を癒される事も期待しつつ


宮城県 黒川郡 大郷町へ

















目的は、


大郷町 糟川寺境内の

同町出身の医師、千葉立造 道本居士の 御墓参りと、

同氏建立 「 累卵の碑 」 を 訪ねる事


おおさと歴史探訪会代表 柴修也氏監修、糟川寺発行の

「 郷土の偉人 千葉愛石物語 」(非売品)の 入手と、


糟川寺住職に 諸々の お話をうかがう事



復路に、同町、支倉常長墓所の訪問



























山門、本堂に 山岡鉄舟揮毫 小島山、糟川禅寺額が有ったのは嬉しい発見














糟川寺内立造墓、累卵の碑前地蔵尊に献花




千葉立造 (ちばりつぞう 愛石 あいせき、道本居士 )


弘化元年(1844年)~ 大正15年(1926)

宮後県黒川郡 粕川村の 貧しい家に生まれ

強い向学心と、誠実、勤勉の人柄で、 数十年間非常な苦学をし


明治天皇の侍医、宮内省大侍医である 岩佐純の信頼を受け

岩佐病院塾長、副院長へと進み


又、明治天皇侍従長でもあった 山岡鉄舟の主治医として その最後を看取り

岩佐、山岡の縁故有故か 明治天皇の脈を診るまでとなった名医



私は、その最終的な立場、地位よりも

立造氏の 伝記に顕われている

愛情深く 誠実な人柄、


貧困、逆境中の、たゆまぬ努力と 負けじ魂に

大いに発奮させられまして



特に、私が 若い時分から 自己修養と反省に 多くの助言を頂いている 四人物、

山岡鉄舟、高橋泥舟、滴水老師との 深い交流、


松島瑞巌寺 盤龍老師との 御縁も見え

私個人の 思い入れも格別なのですが



それを別にしても、一仙台藩出身 郷土の偉人 として

素晴らしい人物 でありまして


大郷町に限らず、 宮城県、

” 粘り強い ” と言われる 東北の皆さん


特に、医学を志す方々には

是非とも 記憶に留めていただきたく、


子や孫へと 語り継がれるべき 逸話、人物像

後々、活字にて御紹介出来ればと 思っておるのですが



天晴れ 郷土愛、地元の有志

平成23年10月、おおさと歴史探訪会代表  柴 修也 氏が、


その、千葉立造氏の伝記 

出生から、幼少期、青年期の勤勉

青年、壮年期の苦労、受難等のお話、累卵の碑、累卵塔の解説を


現代語で 読み易く 「 郷土の偉人 千葉愛石物語 」 として

糟川寺から 発行しているのであります (非売 配布品)








底本が、

当時の 黒川郡 糟川村小学校 校長が ”学童のために ” と 千葉氏に求め


子供でも読み易い 語り口調で略歴を述べ、和歌、累卵帖賛等を編纂し

大正6年に編纂、印刷された 千葉立造の伝記 「 愛石小傳 」 













非売品であり、印刷部数も さほど多くないものと 想像され

内容入手には、国立国会図書館のコピーを頼るのが 現実的な1冊と思われますが


今回の 大郷町訪問の直接的動機は、


良縁により、この「 愛石小傳 」が、 最近 私の手元に廻って来た事




また、千葉立造氏が

大郷町 糟川寺に寄贈建立した 「 累卵の碑 」 の背面には


東京 亀戸天神社の 「 累卵塔 」 同様


高橋泥舟が、 石碑、石塔 建立由来を説明した 碑文を書いているのですが










私は、

高橋泥舟の、 楷書 累卵図 賛  七言絶句、という物を たまたま所有しているので











天気の良い日に、

御墓への献花、累卵の碑、鉄舟画の累卵図を実見し



あわよくば、 糟川寺御住職から


元治元年、涌谷町出身で、山岡鉄舟 春風館にて10年修行をし

後に、仙台で 剣道場 「 自然館 」を開き

宮城県武徳会、東北大学等で剣道を指導した

無刀流 柳多元治郎先生 (旧姓甲田、仙台平人間国宝 甲田栄佑の叔父)

との接点等が 御聞き出来ればと期待したが



それは 空振りに











累卵帖、累卵の碑、累卵塔について少々解説



” 愛石小傳 ” 中、立造氏語る

「 私は病のために 度々死にかかり、

  又、不慮の事で 獄に投ぜられた等の事があったので、

  しみじみと 人命の危うき事を感じました。

  それで、子孫にも 其の危うき事を示さうと思つて

  累卵の図を作り、これに六十六名の緒大家の賛を乞い得まして、

  累卵帖といふ帖を製しました。 」

 ( 累卵=卵を積み重ねた状態で、不安定、危険なたとえ:史記 )




累卵帖は、

三條實美 題

山岡鉄舟 累卵図、賛

高橋泥舟 百六十四文字の 由来紹介文

大久保一翁、勝海舟、副島種臣、川田甕江、三島中洲、元田永孚、

由理滴水、荻野獨園、今北洪川 等々、


明治の錚々たる人物、禅僧 六十六人が賛を寄せたもので

千葉立造氏への信頼、人脈が うかがわれます










この、現在では、ピンと来ないと思われるフレーズ


 ”累卵の危うき” に


これだけの緒大家が 賛を寄せているという事実は



幕末から 明治維新、明治初頭にかけて

法制、身分制、行政、産業、経済、文化、教育、宗教、思想等の様々な変革が

当時 いかに、 人心、生活に影響を与えた 大改革であったかを物語っている



愛石小傅の内容も ご紹介したいところなのですが


部分部分を かい摘むと これも味わいが薄れてしまいますし


ここに 全部アップするのも 時間的にとても非効率なので


残り少なく成っておる様ですが、

糟川寺発行 「 郷土の偉人 千葉愛石物語 」(非売品)を

ドライブがてら 糟川寺にいただきに行くか、


私が 希望の方には コンビニエンスストアーでコピーし

お渡し致します



又、おおさと歴史探訪会 柴修也氏のブログ でも

2011年5月のページから

千葉愛石物語の内容を読むことが出来ますので ぜひ


今現在最新記事でも 忠良さんの紹介が たまたま載ってます





そして、

宮城県出身 彫刻家 佐藤忠良作  支倉常長像が在る 

支倉常長メモリアルパークへ





支倉常長に関しては 説明不要ですね、リンクを付けておき、写真を多く載せます











































































































































































県内に3ケ所在ると言われている 支倉常長の御墓ですが



鬱蒼と樹木生い茂る山肌に ポツリと在る御墓


この山の知行主 義弟の支倉常次と共に

ひっそりと眠るこの墓所は


隠棲しなければならなかった 常長の境遇と重なり



信憑性の想像と共に 郷愁を誘います
















2013年 4月30日投稿




































訪れる際は 御注意下さい






















































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プロフィール

HN:
渡邊秀樹
年齢:
58
性別:
男性
誕生日:
1966/01/16
自己紹介:
「活人剣」
松島瑞巌寺 松原盤龍老師 書

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